ボランティア

P.U.Sの岩下さん、突然の命名…「幸せの浮きガラス」

毎週土、日、クリスマスフェスティバルの熱気に包まれる12月のホテルエルセラーン大阪。その大ホールのロビーに、いつも鎮座しているガラス玉があります。NPO法人「P.U.S(バングラデシュの村をよくする会)」からいただいた記念品です。
理事長の岩下八司さんに、お話を聞きました。

──このガラス玉は、何に使われるのですか?

漁業で使われる浮きです。2011年3月に東日本大震災が起こり、しばらくボランティアとして宮城県の女川町(おながわちょう)で活動していました。そのとき、エルセラーン化粧品の糸谷沙恵子副社長から連絡がありました。

「仮設住宅や避難所で暮らしている女性は、メイクなどはなかなかできないのでは? 会社から提供するので、化粧品を持っていっていただけませんか? 現地の女性のみなさんに使っていただいてください」

すぐに大阪・柏原にあるエルセラーンの倉庫に行き、ライトバンに積めるだけ積みました。ポーチに入ったセットになっているものまで。当時、避難していた人は、海岸沿いの漁師をされている方が多かったですね。いろいろなところを回って配らせてもらいました。エルセラーン化粧品という名前を知っていた人も知らなかった人も、大いに喜んでもらって私もうれしかった。

──現地での活動はどのくらい続けられたのですか?

3年ほどです。テント村を「だいじょうぶや」と名付けて。そんなとき、ある漁師の奥さんから、「いつぞやのお化粧品のご支援には大変感謝しております。感謝の言葉は限りなくありますが、お礼を述べることしかできないのが心苦しい。せめて感謝の気持ちを形にしたい」ということで預かった品が、このガラス製の浮きなんです。

──年配の方ですか?

そうです。おばあちゃんです。このガラス玉の周囲の、編んでいるところが女性の仕事だったんです。今やこういう道具は、ゴム製のものがほとんどです。若い女性では編むことができませんが、そのおばあちゃんは若いころから編み仕事をしていたそうです。「エルセラーンに感謝の気持ちを伝えたくてこしらえた」と預かったので、お持ちした次第です。

──実際の用途は?

東北の漁業は養殖がさかんなので、いかだや網の目印にしていたようです。この、被災地へ化粧品を届けたことがきっかけで、宮城県東松山に、バングラデシュの子どものための支援をしてくれる人ができた。その方は美容室をされていて、「当時いただいた化粧品は本当にありがたかった」ということで、別の形で今もつながっています。

──被災後間もなく、現地に入りテント村を立ち上げた、とのことですが、そこではどのような活動を?

がれきの片づけが主なものですが、津波によって流されるのは人工物だけではありません。家の中に魚が流れ込み、それが腐ってひどいにおいを出したり、ハエも寄ってきたり、ひどい有様でした。テント村を作ったきっかけは、全国から大勢来たボランティアの寝泊まりする場所を確保するためです。最初は町役場の駐車場を使っていましたが、移動せざるを得なくなり、たまたま土地を使っていいという人がおり、貸してもらっていました。ボランティアが寝泊まりするためのテントを張る村です。

──炊き出しもされた?

はい。今振り返ってみても、自分で満足するようなことができたとは思いませんが、ボラティアが活動するためのバックアップも必要だと感じました。もちろん、現地に入るボランティアというのは自己責任、自分のことはできるようにする、ということは基本です。それでも、人のために一生懸命作業をして、汗を流して、寝床に戻ってきたときに、ご飯があってホッとできる、そういう場所が必要なのかなと感じましたね。

──当時、奥様の啓子さんも?

時々は一緒にしましたが、力仕事ですから、時々、でしたね。シンガーソングライターの石田裕之さん(学校建設のテーマ曲「白いノート」の作者)も来てくれていたんですよ。我々は、がれきの片づけやらをしますが、彼は歌で人の心のケアができる。とは言え、あの災害の心の傷というのはそう簡単に消えない、というのもふたりで痛感しましたね。

──ガラス玉の浮き、なんとお呼びしましょうか。

そうやねえ。「幸せの浮きガラス」でしょうか。

即座にそう話した岩下さん。
日焼けした顔から、優しい笑みがこぼれました。

トップへ