ボランティア

萩平中学校が開校しました!@ネパール プラカス学校

プラカス学校はネパールの首都 カトマンズから車で約3時間半かかる、ブムルタール地区にあります。この地の中学校校舎が、愛知県豊橋に住む萩平悦子ボランティアキャプテンの名を冠した、萩平中学校として開校しました。現地の様子をお伝えします。前回お知らせした、三浦小学校との合同開校式でした。

生徒たちがマリーゴールドのレイで歓迎してくれました。
ブムルタール地区は、都市部から離れてはいますが、地域の中では中心的な場所で、子どもたちも日本人を見て緊張する、ということはありません。
カメラを向けると笑顔を返してくれました。

校舎の色は淡いピンク色。この色は萩平さんが選びました。
建設支援事業が進行中の2018年8月、NPOネパール・マ・ジャニの玉川さんからこんな話がありました。
「元々、小学校と中学校で2棟の校舎を建設予定でしたが、敷地面積の確保が難しく、ひと続きの1棟になります。小学校の教室と中学校の教室を、おふたりのキャプテンに校舎の色を決めてもらって、塗り分けてみるのはどうでしょう?」

この提案には大喜び。選んだ色は萩平さんらしい、やさしく、癒されるような色でした。

テープカットは満面の笑顔。拍手と大歓声が起こり、花びらが舞います。
同行した息子さんも、村人たちと一緒に喜んでいます。
萩平中学校の生徒たちも、年の近い日本人に親しみを感じるのか、この後息子さんは生徒たちによるセルフィー(自撮り)攻めに遭っていました。

リボンカットの後は、生徒たちと一緒に教室の中に入り、交流をします。
萩平キャプテンからいろいろな質問が投げかけられます。
「普段どんな生活をしているの?」「どの教科が好き?」「将来の夢はある?」

将来の夢について聞くと、生徒たちは言い淀んでいるようでした。
小学生だったら、元気よく「先生!」「エンジニア!」「お医者さん!」と答えているところです。

高校、大学に通う先輩たちを見ている中学生にとっては、勉強を続けることと、その先の人生の選択がとてもリアルに感じられるようです。
あこがれだけで将来の仕事を話す年ではないのかもしれません。

開校式が始まり、国歌斉唱、来賓あいさつなど、最初のほうは粛々と進みます。
そんな中、盛り上がるのが、きれいな民族衣装をまとった女子生徒による華やかな踊り。
生徒たちはこの日のために練習を重ねました。
萩平さん「ネパールの女の子たちは、ダンスもメイクもすっごく上手でびっくりしました。負けちゃうかも?と思うほどでした」

記念品を受け取ったり、あるいは日本からのプレゼントを渡したり、萩平さんの笑顔は絶えません。
中でも一番の笑顔はこの瞬間でした。
愛知県豊橋の仲間たちと、ネパールの子どもたちが一緒に映る一枚です。
萩平さんのご挨拶スピーチには、仲間の大切さを語る、こんな言葉がありました。
「つらいことがあっても、励まし合ったり、助け合ったりして、仲間の大切さも実感できると思います」

生徒代表 あいさつ
「日本からお越しの皆さんをはじめ、ご参列の皆様にごあいさついたします。
2015年の地震によって、僕たちが勉強していた教室がなくなってしまいました。
それから僕たちは屋根のない、野外で勉強していました。そんなとき、日本のエルセラーンの皆さんが、新しい校舎の建設支援によって、僕たちが勉強するための環境を整えてくれました。この学校には障害のある生徒もいますが、すべての生徒が勉強するための環境が整いました。ありがとうございます」

区長 あいさつ
「今の日本が1945年の終戦を乗り越え、ここまで発展できたのは、教育の力によるところが非常に大きい。100%の識字率というのは非常に素晴らしいことです。この地域も、2015年の地震を乗り越えてきました。日本のエルセラーンの皆さんは、校舎の再建支援という形で、地震後の教育を支えてくれました。国の発展のためには、教育は不可欠です。この地域から識字率100%を目指していきましょう。
そして、我々が日本の方からご支援をいただいたように、今後は我々が、助けを必要としている他の国を支えられるようにならなければなりません。今日が開校式、これからがスタートです。ここからどのように運営されていくかが大切です。日本の皆さんのお気持ちに応えられるよう、校舎を活用してください」

学校運営委員会代表のスピーチが、閉会のあいさつとなります。
そのあとは交流会。ネパール・マ・ジャニの玉川代表に聞きました。
──どんな交流を子どもたちは喜びますか?
「そりゃ踊りですよ」と即答。
生徒たちと踊る萩平キャプテン。その後ろで玉川さんが安堵するように髪をかき上げました。
後日こう語りました。
「喜んでもらえたようでよかったです。現地責任者のハリーがとても頑張ってくれました。感謝」

きれいなメイクをして踊る生徒。
楽しそうな表情に、開校式だけでは彼らの生活が見えなくなりそうですが、学校の向かいにある民家が、暮らしの厳しさを物語っていました。

ネパール・マ・ジャニによると、この地域の暮らしは自給自足がほとんどだということです。
現金収入はほとんどなく、平均的な収入は把握できないほどわずかだそうです。
レンガとトタン板の家屋、電気を引いてはいるようですが、農村部は停電も多いそうです。
しかしこの学校で出会った人は、楽しんで生きていく明るさ、エネルギーを持っていました。

新しい学校がオープンした喜びを、楽しい踊りで噛み締めた一日でした。


トップへ