ボランティア

バングラデシュに中筋小学校が開校

【人生最良の日】 
玉村小学校と南茂小学校の開校式が行われた翌日の2019年2月25日昼、首都ダッカからバスで約4時間のムンシカンジ・ラハヨングで、中筋小学校(ピングライル小)の開校式が行われました。
教員7人、児童320人。校区の村には、298世帯1791人が暮らしています。
玉村小学校や南茂小学校と違って、ここではイスラム教徒51%、ヒンズー教徒49%と、両教徒が拮抗している地域でした。
村の主な産業は、農業、漁業、商業、サービス業などで、やはり日雇い労働を収入の糧にしている人々も多くいます。年収は約3万円。
現地のツアーでお世話になっている「ベンガルツアーズ」の観光案内パンフレットには「あったかい人々と美しい自然の国 ベンガル(バングラデシュ)」と書いてあります。
中筋育江キャプテン(和歌山県)はそのフレーズ通りの農村風景に身を置いて、とびっきりの笑顔で子どもたちと交流しました。
御主人の栄(えい)さん(写真奥)は、「人生最良の日です」。

【雨のち晴れ、ときめきのあぜ道】
朝。ダッカのホテルを出発する時は、ざーざーと雨が降っていました。
「乾季なのに、なんで…」
部屋に傘を取りに戻る人、雨ガッパを用意する人…出発時から大わらわ。でも、着くころにはきっと晴れる、とみんなが祈っていました。
すると、どうでしょう。バスが走るにつれて、青空が広がってきました。
「乾ききった土ぼこりで茶色になっていた木々の葉っぱも、緑をとりもどした。すべてがみずみずしくて、すがすがしい」
こんな声に包まれながら、現地の村に着きました。
「学校まで、少し歩きます」
ガイドさんの声で、一行はバスを降りて歩き始めます。
先導する観光ポリスの手には機関銃が(写真㊤左)。
P.U.Sの岩下啓子さんは、リキシャ(人力車)に乗っての移動です(写真㊤右)。
別のリキシャにも、キャプテンさんら2人が乗り、移動しました。
小鳥のさえずりが心地よく、のどかな田園の絵のような風景に、だれもが癒されます。
少し歩くと、ドラムや笛の音が聞こえてきました。
そして、木々の間にエルセラーンピンクの校舎が見えてきました(写真㊦左)。
奏でていたのは、子どもたちと村の人々(写真㊦右)でした。
中筋キャプテンの胸のときめきが、しだいに高鳴っていきました。

【光り輝く存在に】
開校式が始まりました。
校長先生(写真㊤左)は、次のようにあいさつしました。

「長年、教室不足に悩まされ、木の下で勉強してきました。老朽化が激しく、雨漏りで授業を中断しました。開校式を待たずに、新校舎で授業を始めたことをお許しください。校舎は村にとって、もはや、頼もしい存在です。離れた地域から通う子どもたちも、出てきました。教育を通じて、子どもたちが自分自身で光り輝く存在になれるよう、大人はそれを見守り育てられるよう、新校舎を活用してまいります。改めて日本のエルセラーンのみなさまに感謝します」

中筋キャプテンは大きな声で、「きょうからみんな友だちです」。ゼスチャーを交えて、投げかけの言葉が続きます(写真㊤右)。
(夫の栄さんは、ホテルに帰ってから言いました。「妻がこんなに快活で、エネルギッシュな女性とは思わなかった」)

児童代表の6年生、アラミン君(写真㊦)もあいさつしました。

「新しい校舎を建ててくださった日本のみなさん、ありがとうございます。ありがとうの言葉だけでは、感謝の気持ちを伝えられません。遠い日本の学校に通うお友だちにも、ごあいさつします。ぼくたちは新しい校舎ができて、きちんと勉強しています。貧しいけれど勉強の得意な生徒が夢を叶えられるよう、奨学金制度などで助けていただければ嬉しいです。日本のみなさんへの感謝の気持ちをもう一度述べて、ごあいさつといたします」

【文通…海を越えて】
中筋キャプテンと御主人の栄さんに、校長先生から記念の盾が渡されました。そして、中筋キャプテンの和歌山チームが、一斉に日本の子どもたちの手紙を掲げて、中筋キャプテンが子どもたちに話し始めました(写真㊤)。

「日本の高槻市立日吉台小学校(大阪府)の1年生から、みなさん宛てのお手紙を預かってきました。実は、息子が日吉台小学校1年生の先生をしています。国際理解教育の一環として『世界を知ろう』という授業があり、バングラデシュについて勉強したそうです。そして、日本のことも知ってほしい、日本の学校ってこんなんだよ!と書いてくれたのがこの手紙です。1年生で、字も覚えたばかりですが一生懸命書いてくれました…」

そう話して、何枚かの手紙を紹介しました。
<遊ぶとき、サッカーをしているよ。けっこう楽しいよ!たけるより>
<体育のじゅぎょうが楽しいよ。なわとびはとても楽しいからやってみて>
<小学校には、ひみつきちがあるよ>
手紙のファイルは4冊、90人分ありました。

すると、次の瞬間、10通の手紙(写真㊦)が渡されました。
P.U.Sのスタッフが、事前に日本の子どもたちからの手紙について伝えていて、ピングライル小(中筋小)の子どもたちが「返信」を用意していたのです。
3月7日の昼下がり、和歌山県御坊市の会議室。キャプテン会が開かれて、ピングライルの子どもたちの手紙を読んで、フェイスブックなどにアップしました。
10通の手紙は3月16日、中筋キャプテンから息子さんに託され、日吉台小学校に届けられます。

【まるで女子高生】
石田裕之さんの「白いノート」に続いて、中筋小学校でも「幸せなら手をたたこう」の大合唱が起きました。
佐藤アヤ子キャプテン(写真㊤の左端)、米倉直美キャプテン(同中央)、吉田佐知子キャプテン(同右端)も、明るく歌いました。
子どもたちとの交流会では、愛須祥子(あいすさちこ)キャプテンが折り紙を(写真㊦左)、川口桐江キャプテン(写真㊦右の左端)、江良貴子キャプテン(同中央)、竹越りゆ子キャプテン(同右端)も童心に帰って、というより、女子高生のノリで大はしゃぎしました。

【歓喜、頂点に】
あっという間の時間でした。
中筋キャプテンは、恒例のビデオ制作向けの「締めの言葉」の時も、歓喜の中にいました(写真㊤左)。お別れをしたあとも、女子生徒が追ってきて、あのバスまでの約200㍍の「ときめきのあぜ道」で、「幸せなら手をたたこう」を合唱しました。(2019.2.27のニュース&トピックスの速報参照

そして写真㊤右のシーンです。
観光ポリスが全力疾走で追いかけてきて、忘れ物を届けてくれました。
中筋キャプテンのバッグです。大切なものが入っていたはず(?)。
この写真には佐藤キャプテンも写っていますが、佐藤キャプテンは実は子どもたちに囲まれて、一行がバスに向かったあとも一人取り残されて教室に…。ようやく追いついたのでした。
映像担当の奥谷護(まもる)さんは、往路のあぜ道でドシンと転びました。
エルセラーン1%クラブの隅田亮太事務局長は、別れ際に「アイラブユー」の黄色い声に包まれました。叫んだ村娘たちは照れ隠しからか、小走りで姿を消しました。
とにかく、いろんなことがありました。
というわけで、恒例の横断幕をかかげての記念撮影は中筋小学校ではなく、ダッカ近くの帰り道の川の橋の上でパチリ…(写真㊦)。
玉村、南茂、中筋小の3校の歓喜のうねりが合体して頂点に達して、学校建設プロジェクト史上初の「横断幕記念撮影忘却ハプニング」を生んだのでした。
「ピュアで、意欲的で…伸びていく子どもたちなんやな、と強く思いました」
中筋さんは帰国後、しみじみとこう話しました。


トップへ