今、輝く人 💛 ボランティアキャプテン紹介(21)
エルセラーンのポリシーや商品をメンバーさんたちにお伝えして正しい生き方を広め、商品販売の収益の一部を率先してボランティア活動に寄付されているのが、全国で活躍するボランティアキャプテンたちです。どんなお仕事内容なのか、どんな日常を過ごされているのかを話題のキャプテンたちにお聞きしました。
伊藤 計子キャプテン(1943年生まれ)
(1988年豊田キャプテン会所属)
苦境でも愛知V1をアシスト
■〝自己満足〟な生き方を変えてくれた特ゼミ
自治会の役員つながりで知り合った近所の主婦がエルセラーンのキャプテンで、化粧品サンプルを持ってこられましたが私は有名ブランドの高級品ほどいいと思い違いしており、手をつけませんでした。ただ、講習会へも根気よく誘われたので、一度だけ義理で参加しました。するとビックリ。会場のみなさん、肌が透き通るようにきれいでピカピカなんです。
私の肌は荒れ性でほっぺたは赤く亀裂が入ったような赤ら顔。どんな高級化粧品を使っても改善せず、あきらめていました。でもエルセラーンを使えば透明感のある肌になれるかもと思い、その場でパートナーになり、使い出してしばらくすると赤い亀裂が消え出しました。
「えー、すごい!」
効果を実感して身内や周りの人、仲の良い友だちに紹介すると、あっという間にメンバーの輪が広がりました。でも私は人生に自己満足していたのでキャプテンになろうとは思いませんでした。夫はそこそこ収入があり、日本全国へ旅行に連れていってくれるし、子どもたちは順調に育ち、私も勤めが充実していたので…。
その考えが変わったのは特別ゼミナール(特ゼミ)への参加でした。会長から3日間、付きっ切りで教えを乞い、集中する中で自分の生き方を見つめ直しました。自分や家族が満足でも、社会のお役に立てているのか。私の人生、生きる目的はあるのか。そういう思いがすごく湧いてきたんです。会長の人生哲学の話に惹かれ、キャプテンになればもっと素晴らしい人生が待っているのではないかと感じました。特ゼミ後、すぐにキャプテンになりました。
しかし主人はいい顔をしなかったので2回、講演会へ連れていきました。すると手を挙げて会長に質問し出すんです。冷や汗が出ましたが夫は回答内容に納得したのか、「トップがあの人なら間違いない。しっかり頑張りなさい」と賛成に転じてくれました。それからエルセラーンの仕事に熱が入りました。
★伊藤 計子Cのプロフィール★
出身地:愛知県知多市。建築業の両親の元で恵まれた子ども時代を過ごし、高卒後、洋裁学校や料理学校等の嫁入り修行をして名古屋市内に住む会社員の夫と見合い結婚。夫の転勤で豊田市内へ移り、今に至っている。
血液型:B型。榊原けい子C(名古屋C会)、清水有美子C(兵庫C会)と合わせて高齢の3人が2014年3月、ネパールで同時に開校式を迎えたことからエルセラーン内では親しみを込めて〝三(さん)婆(ばば)〟と呼ばれる。
家族:子ども2人(長男、長女)は独立し、5歳年上の夫と2人暮らし。孫が3人いる。
趣味:旅行、ドライブ、スポーツ鑑賞。日本舞踊は小さいころから長年、習っており大好きだったが、キャプテン業開始とともに封印した。
■人生に素晴らしいものを残す学校建設事業
会長のご提案でエルセラーンが建てる学校にキャプテンの名前を付ける最初の10名の中に選ばれ、2014年3月、ネパールで伊藤小学校の開校式に参加しました。山のてっぺんに建つ、運動場もなく松の木しかない小さな学校でしたが村人たちが人垣を作り出迎えていただきました。子どもたちのうれしそうな笑顔が今でも忘れられません。教室内で小さな座布団にちょこんと座り、丸テーブルで勉強する姿がとても可愛くいとおしかったです。
校舎は翌年のネパール大地震でも崩れず、村人たちがシェルターとして逃げ込んだ話を伺い、頑丈に建てていただいたチョウタリィの会に感謝し、開校式で「小屋のような」と表現していた自分を恥じました。
コロナ禍の影響で、2校目のスリランカ 伊藤小学校の開校式は2021年8月、3校目のネパール 伊藤図書館の開館式は2023年8月、ホテル エルセラーン大阪で開催され、大勢のエルセラーンメンバーにお祝いしていただきました。入場門をくぐるとき、頭の血液が沸騰するような感動を覚えました。伊藤図書館の開館式には日頃、大変お世話になっているメンバーさんと新人様4人、娘や孫娘など親族5人も参加してくれてすごく嬉しかったです。フェスティバルの一環なので、エルセラーン全体の活動、未来の方向性、会長・社長や会社の芯の部分なども感じてもらえて、「より深く感動した」という感想をもらいました。「おばあちゃん、尊敬しちゃう。すごいね」という孫娘の言葉には目が潤みました。
私は6校決めているので、残り3校でどこの国の子どもたちと会えるのか楽しみです。学校建設事業は現地だけでなく、キャプテンの人生にも素晴らしいものを残してくれますね。
■社長を支えてノーベル平和賞を
エルセラーンの舵取りが2019年8月、創業者である石橋会長から生え抜きの糸谷社長へと変わって4年が経ちました。社長は会長の意志を入れつつ、女性活躍社会を体現してエルセラーンをどんどん進化させ、新しい歴史を作っておられます。今年2月の関西財界セミナー賞2023輝く女性賞の受賞は、それらの取り組みが第三者からも高く評価されていることを示していると思います。
社長はテレビ、ラジオへの出演も増えました。最近、オーラにますます磨きがかかって眩しいぐらいなので、メディアがほっておきませんよね。「どんなアドバイザーがついているんですか?」と尋ねると、すべて自分で考えて行動に移しているそうで、それが私には衝撃です。社長は優しい心、美しい姿と人間性で出会った女性をクーッと惹きつける力を持っておられ、メンバーひとりひとりの心をつかんでくださいます。私たちは社長のお陰でエルセラーンの実践・お伝えをやりやすくなっており、本当にありがたいなぁと感じています。
会長から教わった四位一体をすべての人が行動に移せば、世界中が平和で幸せな生き方ができるようになると信じています。そして、それを実現いただけるのが社長です。みんなで社長を応援し、エルセラーンがノーベル平和賞を取れるように頑張っていきたいです。
■気持ちの持ちようで限界を越える
これまでは〝エルセラーン=命〟の私でしたが、最近は病気の夫の介護でキャプテン業が思うようにできず、まだるっこしく感じています。それでも今は夫の介護を優先順位の一番にして悔いのない人生にしたいと考えています。ただし毎月の全国リーダーキャプテン会などに出るため、介護施設に夫を1週間ぐらいは預かっていただきます。夫は介護施設でのお泊りはいやだといいながら、エルセラーンの仕事に理解を示し、我慢してくれます。本当に感謝しています。
20年近く前、愛知県でキャプテンが一気に多数抜けたことがありました。このとき榊原けい子キャプテンと相談し、年間1億円のトッパーズを出して会社や愛知キャプテン会を守ろうと誓い合いました。すると自然にクリアできたんです。たから身動きの取りにくい今も頑張る気持ちさえ持っていれば、仲間についていけるかなと思います。
年間表彰総合部門の平均トッパーズで「愛知V1」を達成させるのが私の夢なので、何とか食らいついて愛知の力になろうと思います。
(インタビュー2023年9月)
斎藤 美恵子キャプテン(1957年生まれ)
(1989年栃木キャプテン会所属)
絆を大事にしながらメンバー作りを
■天職だった洋裁からキャプテン業への転身
元の職場の同僚から「化粧品の話を聞いてほしい」と電話を受けたのは私が28歳、下の子が生まれて数カ月たったころです。私が使うブランドも含めて、ほとんどの化粧品は石油系原料でできているという衝撃的な内容でした。家にある化粧品は舐めると苦く、サンプルでいただいた天然系原料のエルセラーンは甘い。郡司篤孝先生の著書『怖い化粧品1000種』も紹介され、私は使っていた化粧品を全部捨て、近所で開かれた講習会ですぐにエルセラーンのパートナーとなりました。
洋裁の専門学校に行き、この仕事が天職だと思い込み、子どもができても保育所に預けて針を動かし続けていましたが、エルセラーンと出合って国際ボランティアや世界平和の話を聞くうち、キャプテンの仕事がすごく気になりだしたんです。特に「プラス思考・マイナス思考」のメンタルトークは新鮮でした。区切線は今現在の時間で、過去形+利己主義はマイナス思考、未来形思考+ボランティア(利他)はプラス思考、という区別はとても明快でなるほどと思いました。
洋裁の仕事は歳を取って目が見えにくくなったらできないだろうし、キャプテンという仕事に挑戦してみようかな。夫は反対しましたが、義母が賛成してくれたので最後は「家事に支障をきたさない」ことを条件に説得してキャプテンの仲間入りをしました。
★斎藤 美恵子Cのプロフィール★
出身地:栃木県日光市。洋裁の専門学校を卒業し、東京で2年ほど洋裁の仕事をし、栃木県に戻り23歳のとき結婚。今に至る。
血液型:O型。自己分析は「失敗して、自分で受け、笑っているような天然系」。普段はおっとりしている。メンバーさんには、一緒にいると癒されるといわれる。楽しいことが大好き!
家族:花屋を営む夫、独身の二男と3人暮らし。所帯を持った長男一家も隣家に居を構えており、5歳の孫と遊ぶのが最近の日課。
趣味:仕事としての洋裁はやめたが、今でも気晴らしにパッチワークでコースターやポーチなどを作っている。
家業の手伝い:花屋の仕事は世間の催事に大きく左右されて波があり、「母の日」や「お彼岸」「お盆」などの繁忙期には手伝いに忙殺される。
■2つの開校式の感動体験
《ラオスの青空をいっせいに舞い上がる子どもたちの紙ひこうき》
2019年4月、私の名前を付けていただいた斎藤小学校での開校式の一場面が目に焼き付いています。気温が40度にも達する、とても暑い日だったにもかかわらず、式典にはものすごくたくさんの村人たちが集まってくださいました。子どもたちは元気に歌ったり踊ったり…。小さな体でセレモニーを一生懸命に盛り上げてくれて、とても愛おしく感じました。
折り紙で作った紙ひこうきや鶴、手裏剣などをプレゼントすると、とても喜んでくれて本当に渡しがいがありました。学校建設を通して素晴らしいものを〝いただいた〟のは私の方でした。メンバーのみなさんの協力で夢のような現実を体験できてキャプテン冥利に尽きます。
そして今年8月にはホテル エルセラーン大阪で、私にとっての2校目となるラオス 斎藤図書館(ナボーン中学校)の開館式に臨みました。石橋会長、糸谷社長、200名近いエルセラーンのみなさんがお祝いしてくださり、現地の開校式とはひと味違う喜びを味わえました。会場にいる方がひとりでも「キャプテンになって学校を建てたい」と思ってくだされば、と願いながらご挨拶させていただきましたが、感謝の気持ちを伝えなくちゃと思うあまり胸が詰まって涙声になってしまいました。
長男のお嫁さんからは「お母さんとエルセラーンのみなさんで建てた学校や図書館で救われたり、幸せな気持ちになったり、学校や図書館を通して進む道が決まったり、生きる希望が持てたり、そんな子たちがいるんだと思うだけで感動して涙が出てきます。お母さんは本当に凄いです。おめでとうございます」というメッセージが届きました。強い味方ができたな!とうれしくなりました。
■右脳に訴える話し方に立ち戻る
エルセラーン化粧品は今年2月に関西財界セミナー賞2023輝く女性賞を受賞したのを機に、第三者からも、いろいろな形で認められる存在になりました。メンバーさんもとても喜んでいます。信じてエルセラーンを応援してきて良かった、と。私もキャプテン業を実践していくうえでさらに自信を持ってエルセラーンをお伝えしていけると思いました。
これまでのエルセラーン人生を振り返ると、勉強会や催しなどで石橋会長のお話を聞いたとき、なぜかわくわくして、やる気に火をつけていただいたなぁ~と思い出しました。会長は説明や理屈ではなく、右脳に訴えかける話をされていました。私は、左脳ではなく右脳に伝えるエルセラーン流が少しおろそかになっていたかもしれないと反省しています。基本に立ち戻り、右脳に訴えかける話し方で新しいメンバー作りを進めていきたいと思います。
■必要な支援がいつでもできる組織
今年は年初に夫が病気で入院・手術し、看護と家業の花屋の切り盛りで忙しくて大変でした。でも8月のサマーフェスティバルで開館式を開いていただき、メンバーのみなさんから大きな感動とやる気を頂きました。
また、夏にはNHKの国際放送で、母国タンザニアの孤児支援活動を続ける長野県在住の小林フィデアさんを取り上げたドキュメンタリー番組「Where We Call Home」が放映され、国際ボランティアに頑張るフィデアさんは偉いなあ、と尊敬し直しました。そんなフィデアさんのタンザニアの幼稚園建設を即座に支援できるエルセラーンという組織も本当に素晴らしいです。必要な支援をいつでも、すぐにできるエルセラーンのボランティアを継続するにはメンバーの輪を広げていくことが欠かせないと思います。
会長からは、キャプテンの仕事はキャプテンを作ることだと教えられました。人と人との絆を大事にして、「世界平和」のお役に立てるように、エルセラーンの四位一体をお伝えしてパートナーを増やし、新しいキャプテンを作ってエルセラーンをもっと広げていきたいと思っています。
(インタビュー2023年9月)