過去紹介分(14)中村泰・中山由美キャプテン

 エルセラーンのポリシーや商品をメンバーさんたちにお伝えして正しい生き方を広め、商品販売の収益の一部を率先してボランティア活動に寄付されているのが、全国で活躍するボランティアキャプテンたちです。どんなお仕事内容なのか、どんな日常を過ごされているのかを話題のキャプテンたちにお聞きしました。

 

中村 泰キャプテン(1943年生まれ)
(1988年山形・福島キャプテン会所属)
体が動く限り、学校建設に挑戦

 

■3か月で変わり始めた〝黒い〟肌

 

 
社会人になり花嫁衣装の製造、販売、レンタル会社に勤務。北海道から首都圏までを飛び回る超多忙な生活を送っていました。外食も多く、栄養の偏りと疲れに加えて美容師さんお勧めの化粧品を使ううちに20代後半で肌が黒ずみ、目の周り、首の周りに猛烈な痒みが出るように。皮膚科に通うこと7年。改善の兆しがない中、知人から「肌の黒ずみは食品添加物や化粧品の害などもあるから一緒に勉強しましょう」と誘われ、三女の出産・子育てを機に退社して勉強会に参加しました。
そこで出会ったのが、後にキャプテンとなる佐藤満江さん(山形・福島キャプテン会)たちで、一緒に食品評論家・郡司篤孝先生の講演会などに出かけたり、添加物の少ない化粧品をいろいろ試したりしました。
数年後、佐藤さんから「いい化粧品と出合ったから使ってみて!!」とサンプルを渡されたのがエルセラーンです。初夏だったこともあり、つけ心地はベタベタ、ヌルヌルで気分は良くなかったですが、今から思うとシミになっていた私の肌は石油由来の化粧品を長い間使用していたので硬く変質し、天然系成分が浸透していかなかったんですね。
それでも佐藤さんに勧められて東京の講習会に参加し、キャプテンさんたちの優しい語り口、透明感のある美しい肌、上品で優雅な姿に感動してパートナーに。買った商品を使い続けていると3か月ほどでベタベタ感がなくなり、半年過ぎには周囲から「肌が変わってきたねー!」と褒められ、うれしくなりました。
電話で毎晩のようにキャプテン業を勧める佐藤さんたちと、〝化粧品屋〟になることを猛反対する家族との間で1年半も板挟み状態でしたが、初めて東京のセミナーに参加して石橋会長の生い立ち、会社の理念、ボランティア活動の語りを聞いて感涙。「化粧品がもっと安く使える!」の言葉に背中を押されてキャプテン昇格を決めました。
 

★中村 泰キャプテンのプロフィール★

 
出身地:山形県で生まれ育った。夫も同県人で結婚58年、45年前から夫婦で今の家に住んでいます。
血液型:A型。どちらかというと内向的で慎重派でしたが、メンバーさんとの繋がりが増えるにつれて「お伝えしなきゃ!」という意識が強まり、以前よりは積極的な性格に変わったと思います。
家族:1男3女を授かり、みんな独立。今も現役で車の部品関係の会社に勤める夫と二人暮らし。
趣味:体調管理のため40年ほど前、畑を100坪ほど購入し、夫婦で無農薬野菜を作っています。年間通して30~40種類の野菜を作り、子どもたちやご来訪のメンバーさんにもおすそ分け。又、毎年メンバーさんと手造りの味噌造り会も開催。畑の片隅に大釜を設置、火を焚き大豆を煮てみんなで家族の健康を願いつつ、額に汗して35年。今年も味噌が発酵するのを楽しみに待っています。
息抜き:仕事での移動時、車内で聞く「ゆったりとしたジャス音楽」。
 

■5校目に向けて挑戦スタート

 
キャプテンに昇格した1988年は現在のような素晴らしいエルセラーンのフリップチャートもありませんでしたが、添加物や石油系原料の怖さは郡司先生の講演会に参加するたびに増し、キャプテンになって初めて聞くStop the pollution(地球環境を守ろう)のエルセラーンポリシーに自身の思いがより強くなり、サンプルをまきまくり、商品の違いと良さを聞いていただきました。
あれから30数年たった今、学びたくても学べずにいるアジアの子どもたちへのエルセラーンの国際ボランティア活動は進化した分りやすいフリップチャートと映像でもお伝えできるようになりました。同じ親として思いをメンバーさんの前でお話しさせて頂き、共有できるので、とても心が安らぎます。
日本での私たちは生まれてすぐに教育を受ける権利が与えられるのに、支援先の子どもたちはそれがない不条理さを感じながら、学校建設支援の意義は絶大だと思いますし、今年7月から5校目の学校建設条件達成に向けて新たな挑戦を始めています。仕事をする上で今は学校建設が一番の目標です。
世間でSDGsと言い始めたのは最近ですが、エルセラーンは42年前の創業時から言い続け実践していたなんて本当にすごい事です。石橋会長はぶれずにボランティア一筋でやってこられ、私のように何もわからない、ごく普通の主婦たちを国際ボランティアの方向へ引っ張ってこられたわけですから、半端な心ではできない事だと思っています。
 

■途上国に学校を建てる意義を実感

 

カンボジアの中村小学校開校式で。左端が佐藤満江キャプテン=2015年2月

 
カンボジアのスヴァイ・チェックで中村小学校の開校式に参加したのは2015年2月でした。式典後、子どもたちと一緒に〈幸せなら手をたたこう〉の歌をみんなで歌い、手をつないだ小学5年生の女の子たちの手の平が豆だらけで硬かったんですよ。開校式に行ってくださったパートナーさんも同じ事を感じたようです。毎朝、家事の手伝いや川から貴重な水を汲んでから学校に来るそうで、私の子ども時代とダブって胸が熱くなりました。
《山形でも戦後しばらくは水道がなかったので、中村キャプテンは天秤棒にバケツを2つぶら下げて川から水を汲み、浴槽をいっぱいにしておくのが日課だった。バケツが重くて体がフラフラ揺れ、家に着くころには水が半分以下になり、何十往復もしなければならなかった、という》
1校目の開校式から7年以上たちましたが子どもたちのあの目の輝きが忘れられないですね。日本の子どもたちは学校が休みになる方が嬉しいのかもしれませんが、カンボジアの子どもたちには「学校に行ける」という喜びがあふれていました。
開校式には三女も同行しましたが、渡航前、銘板に掲載する協賛者を募った際、声を掛けた友人から「どうせ売名行為なんでしょう」と断わられて心揺らいでいました。でも自ら、子どもたちへのお土産を調達し、現地で触れ合って学校建設の意義と必要性を実感したとき、「売名行為だと思うならそれでもいい。でもエルセラーンの学校建設はそうじゃないんだから…」と呟いていました。
今年12月のクリスマス・フェスティバルでは、2校目となるネパール・中村小学校の開校式が予定されています。7年ぶりの開校式なのでとても嬉しいですよ。支援して下さっているメンバーさんと一緒に参加したいですし、とても楽しみにしています。
 

■〝生涯現役〟で新しいキャプテン育成を

 

 
私のこれまでの人生で、直上である佐藤キャプテンの存在は特別です。パートナー時代、佐藤キャプテンから1年半にわたり優しく強烈な援護射撃のお誘い電話をいただいていなかったら、私はエルセラーンの真髄を知る前に人生の道を誤っていたんじゃないかと思っています。
時には母のように、ある時は姉のように導いてくださり、いろいろな行事や講演会に参加するうちにエルセラーンの本当の素晴らしさが見えてきて、「キャプテンをやってみよう!」と思いました。ですから佐藤キャプテンに足を向けて寝られません。
エルセラーンは親キャプテン─子キャプテンの関係がとても大切であり、特に当初は一人ではわからない事もいっぱいあったので、親子チームでの活動はとてもありがたかったです。佐藤キャプテンもご高齢となられた中、私自身、将来一緒に活動できる新たなキャプテンとなる方との出会いを心待ちにしつつ、いろいろな方とお話ししているところです。
かつては反対派だった夫も81歳になりましたがとても元気で何かと協力してくれます。私も来年には80歳、健康を維持して体が動く限りキャプテン業を続けていきたいと思っています。とっても楽しいですから。(インタビュー2022年9月)

 
 

中山 由美キャプテン(1957年生まれ)
(1990年福岡キャプテン会所属)
〝改造〟双六ゲームでパートナー量産

 

■チョウタリィの会との橋渡し

 

 
短大のときに体調を崩して静養し、治ったらすぐにお見合いして結婚、子育てと続き、仕事の経験がありませんでした。夫の仕事の関係で奈良に住んでいたとき、知人から紹介されたのがエルセラーンでした。
アトピーがひどかった長女のためにエルセラーンのシャンプーや石鹸を使いたかったので、ホームパーティ→講演会と参加したところで「人生には3回チャンスがある」という話を聞き、チャンスをつかんでみたいと思い、パートナーになりました。「スーパーキャプテン養成ゼミナール」(今のスキルアップゼミナール)と「特別ゼミナール」の勉強会2つをセットで申し込み、そのままキャプテンに。エルセラーンに出合ってから4カ月での昇格でした。
その後、ママ友を中心にお伝えし、私のパートナーになっていただいた一人が、エルセラーンのボランティア提携団体であるNPO法人「チョウタリィの会」(本部・奈良市)を立ち上げる直前の山口悦子代表でした。わざわざ外国まで行ってボランティア活動をする女性が少ない時代。ネパールやインドネシアなどで活動を続けられる素晴らしい人柄に惚れ込み、エルセラーンと提携できたらと考えました。
石橋会長にお伝えし、数年がかりでようやく会っていただけることに。ぎっくり腰になっていた山口さんを強引に奈良キャプテン会の貸切バスに乗せていただき、神戸のホテルでのフェスティバルにお誘いし、結果的にボランティア提携へとつながったときのうれしさは今でも鮮明に覚えています。
 

★中山 由美キャプテンのプロフィール★

 
出身地:福岡県出身。見合い結婚した夫の転勤に伴い、千葉→奈良→千葉と移り住み、東日本大震災を契機に空き家になっていた実家へ10年前、33年ぶりに戻った。
血液型:O型。小さいころから自分の性格は良くないと思い込み、高校生のときからは自分を変える試行錯誤が続いた。エルセラーンと出合ってようやく迷いがなくなった。
家族:娘は2人とも嫁ぎ、今は夫と二人暮らし。孫は男の子4人。
サロン会のカレー:夫は最近、料理作りに頑張ってくれていて、レパートリーを広げて生活を陰から支えてくれる。サロン会のときにはメンバーのためにいつもカレーライスを作ってくれる。
 

■今年12月には2校目の開校式

 

ネパール 中山小学校の開校式で=2014年10月

 
チョウタリィの会が建ててくださったネパール・中山小学校の開校式に2014年10月参加しました。デコボコの山道を埃まみれになりながら車で2時間半も走りましたが、合唱して出迎えてくれた子どもたちの姿を目にした途端、感動で涙が溢れました。私は花粉症があるので、お花のレイをいっぱいかけられて鼻水も止まらず、メイクがクシャクシャになった苦い記憶もあります。
子どもたちとの交流の時間には大縄跳びをしたり、新聞紙でカブトを折ったり、フラフープをしたりして楽しみました。特に女の子たちは彫りが深くて美人が多く、踊りも上手。一緒に踊ってとてもいい思い出になりました。お別れのとき、子どもたちに「次はいつ来るの?」と尋ねられたけれど、いつ来られる機会があるのか分からず返事ができなくて辛かったです。あの子たちが立派に成長していくことを願うのみです。
今年12月のクリスマス・フェスティバルでは2校目のカンボジア 中山小学校の開校式が開催される予定です。カンボジアの子どもたちはネパールの子どもたちとどんなふうに違うのか、想像するだけでワクワクします。ネパールの開校式には家族が誰も参加できなかったので、今度はぜひ夫や娘にも開校式の感動を味わってほしいと願っています。
学校建設は今年9月、4校目を達成できました。16校目に挑戦している西川千夏子キャプテン(栃木キャプテン会)のように、崇高な想いではまだまだ挑戦できていませんが、チャンスは逃さないように頑張りたいと思います。
 

■サロンを拠点にメンバーづくり

 

 
愛知県のキャプテン会は、メンバーさんがエルセラーンの講演会や勉強会などに参加するとポイントを付け、一定数が貯まると景品を贈る「双六ゲーム」の仕組みを取り入れて活動を活性化しています。でも、キャプテン会の規模が小さい地方では講演会などの数が少なく、会場までが遠くてなかなか行けず、ポイントが貯まりません。
私は両親を早くに亡くし、空き家になっていた実家へ10年前に戻った際、倉庫・車庫を壊してサロンを建てました。活動のほとんどはメンバーさんにサロンへ来ていただいています。だから、愛知県のキャプテンさんたちに教えていただいた双六ゲームを、サロンでのエステやヘナ、メンバー会への参加、さらに仕入れ金額でポイントが増えるように私流に工夫して〝改造〟しました。
すると月に5回もサロンへ足を運んでくださるメンバーさん、新人を次々お連れしてくださるメンバーさんなど、双六ゲームを楽しんでくださる方が増えて仕事が上手く回るようになりました。今年8月だけで7人ものパートナーが誕生し、パートナー育成賞を頂いたんですよ。メンバーのみなさんが応援してくれたおかげで、とてもありがたいです。今年になってからサロンミーティングの開催など、仕事の進め方に手ごたえを感じています。
 

■目指す先は九州でのエルセラーン普及

 
今の趣味はエルセラーンの仕事をやることです。新しくメンバーさんができたり、メンバーさんが喜んでくれたりするのが私のパワーの源になっています。若い頃は病弱でしたが、エルセラーンの商品を使い、エルセラーンの仕事をさせてもらうことで病気がなくなり、心も体も元気になりました。
福岡・小倉駅から30km離れた田舎に住んでいるので「全国リーダーキャプテン会」や「NBC養成ゼミナール」などの会場となっているホテル エルセラーン大阪はかなり遠いですが、会合・勉強会に参加すると「気」がめちゃめちゃ上がります。キラキラと輝いている全国のキャプテンたちの姿に触れると私の気持ちも切り替わるので、できるだけ参加してみなさんのパワーを頂きたいです。そして、そのエネルギーを活用して九州にもっと広くエルセラーンを浸透していけたらいいなと思っています。(インタビュー2022年9月)


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