過去紹介分(18)竹越りゆ子・長砂清美キャプテン
エルセラーンのポリシーや商品をメンバーさんたちにお伝えして正しい生き方を広め、商品販売の収益の一部を率先してボランティア活動に寄付されているのが、全国で活躍するボランティアキャプテンたちです。どんなお仕事内容なのか、どんな日常を過ごされているのかを話題のキャプテンたちにお聞きしました。
竹越りゆ子キャプテン(1952年生まれ)
(1988年福井キャプテン会所属)
チームプレーで目指す福井V11
■〝エルセラーン通帳〟でキャプテンに
二男に軽いアトピーがあり、添加物のない保存食やお菓子を手作りするためのママさんグループをはじめました。体に悪い食べ物のことを学び、食品評論家・郡司篤孝さんの著書『怖い食品1000種』などを読み漁りました。食べ物にはすごく気をつけていたんです。
でも化粧品のことはまったく知りませんでした。何年かして、通っていたヨガ教室の講師から「化粧品やシャンプーは石油で作られているのよ」と聞かされ、ビックリ。その講師が城戸啓子キャプテン(福井キャプテン会)だったんです。エルセラーンのサンプルをいただき、親・姉妹で使ってみたらすごくいい。1か月後に福井のホテルで開かれた講習会に参加すると、インストラクターの西村美紀キャプテン(京都キャプテン会)や田中智恵子キャプテン(大阪キャプテン会)がとてもきれいで素敵で…。顔のシミが気になっていた私は、あんなにきれいな肌になれるならとパートナー登録し、半年ほど使い続けると鼻梁や頬のしみは消えていきました。
子どもが小さかったので泊りがけの行事は無理でしたが、夫には内緒で周りのお友だちにエルセラーンを伝えていたらメンバーが増えていきました。城戸キャプテンから、エルセラーンの通帳を一冊つくるといいよと教えていただき、販売収益やバックマージンをその通帳に入れていったら1年間でちょうど100万円になっていました。そして初めて参加した神戸でのフェスティバルで会長のメンタルトーク「唯心・唯物」を聴き、全身に電流がビビビッと走ったんです。
「私は自分が一番、家庭が一番の唯物だったんだ」
「エルセラーンを伝えることが世界平和のボランティアにつながり、お仕事になるんだ」
ちょうどキャンペーンがあり、キャプテン昇格条件の仕入れ額が50%OFFの100万円…。通帳の額とピッタリだったことに運命を感じ、魚釣り好きの夫にも「エルセラーンでお金が貯まったら釣具屋を開いてあげる」と夢を与えてキャプテンにならせていただきました。
★竹越りゆ子キャプテンのプロフィール★
出身地:福井県敦賀市。夫の転勤で約40年前に福井市内へ。
血液型:O型。エルセラーンに出合う前は、どちらかというとおとなしく、消極的だった。
家族:息子2人は独立、いまは夫と2人暮らし。
気分転換:毎朝40分ほどウォーキングしていたが冬の間は中断。また暖かくなったら始めたい。今は車での移動中などに聴く讃美歌『アメイジング・グレース』やユーミンの楽曲などに心を癒されている。
無農薬野菜へのこだわり:手料理で使う野菜にはこだわり、エルセラーンの紹介で取り寄せ始めた熊本の無農薬野菜宅配サービス「どれみ村」を30年以上利用している。足りないときは一般のスーパーではなく自然食品店などで有機野菜を買い求める。
■現地に行ってこそ感じるもの
2014年2月、アジア教育友好協会(AEFA)に建てていただいたベトナム南部の竹越小学校の開校式に参加しました。ホーチミンから車と船で片道約4時間。途中、豚と一緒にフェリーに乗ってメコン川を渡りました。雨漏りしそうな藁ぶき屋根の粗末な家が建ち並ぶ田舎に、真新しい学校が建っていました。
130人の子どもたちはみんな、白地に赤い線が入ったきれいな制服を着てとてもお似合いでしたが、現地NGOのスタッフから、晴れの日の貸衣装で夕方には返却するのだとうかがいました。それでも子どもたちはきれいな服で開校式に参加できるのがうれしくてたまらない様子で、本当に愛おしく感じました。
私は式典の中で「みなさんがわが子のような気がします。お母さんになった気分です」とご挨拶しました。すると、通訳の方が子どもたちに「では、お母さんと呼ぼう」と提案し、日本語で「タケゴシお母さん、タケゴシお母さん」の大合唱が起きたんです。本当にうれしかったですね。現地へ実際に行ってこそ感じるものがあると思いました。
2校目となるベトナム北部の竹越図書館の開館式はコロナ禍で現地へ行けず、2021年10月にホテル エルセラーン大阪のフェスティバルの中でおこなわれました。会長、社長、福井キャプテン会を始め全国のメンバーの方たちに祝っていただき、とてもありがたかったのですが、やはり実際に現地へ行ってみたいとも感じました。コロナ禍が落ち着いたら、竹越図書館の子どもたちを訪ねて交流したいです。
■学校建設は自分が生きた証し
キャプテンの仕事を続ける中で、今は学校建設が一番だと思っています。学校建設に挑戦するのは大変なことですが、自分が生きてきた証しです。1校、2校、3校…と形として残っていく。人生の中で、自分の名前の付いた学校を建てていただき、それが子どもたちの役に立つ。こんな素晴らしいことはありません。
会長はキャプテンそれぞれが10校建設を目標にしなさいとおっしゃっています。私は昨年6月に5校目を達成し、半分まで来ました。10校は高いハードルではありますが、できるかもしれないと思わせてくれる目標です。簡単には実現できないけれど、決して不可能ではない絶妙な数字を出してくるところが会長のすごさですね。
1年に1校は達成しなさいともおっしゃいます。西川千夏子キャプテン(栃木キャプテン会)のように年に2校も3校もは真似できませんが、そうか1校なら…。今年2月にはエルセラーンが関西財界セミナー賞の輝く女性賞を頂きましたので、そのお祝いも兼ねて今年は絶対に新たな学校建設をやるぞ!と心に誓っています。
■キャプテン目指すパートナー育成を
他の社会では人の足を引っ張り合うようなところもあるかと思いますが、エルセラーンではみなさんが心磨きの勉強をしているので相手の手をつかんで引っ張り上げてくれます。みなさんが「相手が一番」だと考えて、お互いを思いやりながら一緒に上がっていく。エルセラーンのそこがいいなぁと思います。「チームプレー=美しい人間関係」で目標を達成する。会長が目指しているのはこれなんだと思います。
福井キャプテン会はすごくいい仲間ばかりで、最高のチームプレーを発揮しています。年間表彰の総合部門平均トッパーズでV10を達成し、今年も「福井V11を全員で獲ろうね」と盛り上がっています。一つの目標に向かってキャプテンもメンバーも一緒になって獲ろうという雰囲気ですね。
輝く女性賞の受賞で糸谷社長がキャプテンを輝かせることでパートナー、メンバーにも輝いていただく。今年はパートナーに、動いて輝いていただくのが大事だと思いますので、エルセラーンの勉強会にどんどん行っていただきキャプテンを目ざされるように働きかけます。キャプテンになるという目標を持てば、新しい人との出会いも自然に出てきて、楽しいエルセラーン人生が始まることでしょう!!
(インタビュー2023年2月)
長砂清美キャプテン(1959年生まれ)
(1988年豊岡キャプテン会所属)
積極的に出会って仲間を増やす
■変貌して輝く同級生に衝撃
長女は離乳食を始めると湿疹が出始め、同級生の友だちに相談したところ、紹介されたのがエルセラーンのシャンプー、洗剤、ソープ。夫もそのシャンプーで抜け毛が止まり気に入りました。でも、すぐに二女が生まれて講習会へも行けず、1年半は愛用者として定価購入していました。
ようやく行けた講習会でビックリ。高校の同級生で、内向的だと思っていた右近博子キャプテン(豊岡キャプテン会)が大勢の参加者の前でインストラクターとして黒板に数字を書きながら堂々と説明しているんです。すごく輝いていました。他のキャプテンたちもお肌がピカピカで活き活きとしていて、「この組織は何なん?」と私は強く惹かれました。
シャンプーなどが安く買えるようになるので、すぐにパートナー登録。元同僚や親姉妹に伝えるためホームパーティを3回開くとパートナーになってもらい、気が付けばキャプテンの昇格条件が揃っていました。周りにいる同級生たちもどんどんキャプテンになっていった時代で、その中の一人に糸谷社長もおられました。〝化粧品売り〟になることに拒絶反応を示す実母や義母を直上のキャプテンがきちんと四位一体の仕事だと説明していただいたお陰で私もキャプテンの仲間入りをしていました。
義母とは嫁いでしばらくはしっくりいってなかったですが、キャプテン業を始めてからは子どもの面倒をよくみていただき、とてもいい関係に変わりました。同窓会で「嫁さんに化粧品売り? あんた、何させてんの」と嫌みをいわれることもあったようですが、エルセラーンの仕事に理解を示してくれる協力者で、お隣さんにエルセラーンを伝える優秀なパートナーでした。それだけに私が41歳のときに70歳の若さで逝ってしまったのが残念でなりません。その後は実母の協力を得て、エルセラーンの仕事と重なると娘たちの受験や入学式へ私の代わりに行ってくれました。今も実母が元気で一人暮らしできているのはエルセラーンの商品とポリシーのお陰です。この二人の母のお陰でエルセラーンを続けられています。
★長砂清美キャプテンのプロフィール★
出身地:兵庫県豊岡市。小・中の臨時教員を計3年務めた後、同郷の夫に嫁いで〝寿退社〟。子育てをしながらキャプテン業を続け、義母が逝った後は義父の農業も手伝っていたが一昨年、義父が亡くなって農業は〝卒業〟した。
血液型:A型。エルセラーンに出合う前は視野が狭かったが、今はしがらみから解放されて自由にものごとを捉えられるようになったという。
家族:娘3人は独立し、今は会社勤めの夫と二人暮らし。孫は9歳~生後4カ月の5人。
息抜き:ガーデニングでチューリップやパンジー、レモン、びわ、ゆずなどを育てたり、活けたりするとホッとする。〝食いケーション〟が大好きで、エルセラーンルームを訪ねてきたメンバーさんにおぜんざいなどを出して食べながらおしゃべりを楽しむ。朝ドラと大河ドラマを観るのが息抜き。
趣味:新聞、雑誌などの活字を読みたいタイプ。
■子育てしながらメンバーを研修送り
私がキャプテンになった頃は、石橋会長による面接テストがありました。「愛」と「好き」の違いなどを聞かれて上手く答えられず、すごくショックを受けた記憶があります。学校では習わない実践哲学に初めて触れた瞬間、会長に非常に魅力を感じました。
大阪・豊中にエルセラーンの研修センターが出来ましたが私は会社の勉強会に行きたくても子育てがあって行けませんでした。その代わりにメンバーさんたちを泊りがけで送りこみました。まるで置屋のおかみですね(笑)。メンバーさんには直接、会社の教育を受けていただいたのが結果的に良かったんでしょう。毎年キャプテンが誕生しました。第1号が岡村初美キャプテン(京都キャプテン会)でした。
愛媛県出身の初美さんは私が兵庫県西宮市の中学校に勤めていたとき、住んでいたアパートの同じ階に引っ越してこられました。すぐに仲良くなり、一緒に銭湯へ行ったり、ご飯を食べたり。私が郷里へ戻って結婚・育児で慌ただしくするようになってからも親交が続きました。郡司篤孝さんの著書『怖い化粧品1000種』に載っている化粧品を使っておられた初美さんにエルセラーンを伝えなくちゃ、と子連れで初めてお伝えに行ったことは懐かしい思い出です。
そして阪神淡路大震災で傷んだ自宅を1999年に改修した際、新たに7畳のエルセラーンルームを作り、メンバーさんにエルセラーンをお伝えしやすくしました。35年間もキャプテン業が続いているのはこの部屋があるからです。育児や介護をしながら子どもに「お帰り」といってあげられ、私の仕事を見せられたのが良かったと思います。
■メンバーのみなさんとともに学校建設
2018年11月、カンボジアの長砂小学校の開校式に参加しました。村をあげての歓迎ぶりに感激しました。子どもたちの未来を拓くお手伝いができて本当に良かったです。この学校は2011年2月にエルセラーン小学校として完成した校舎を改修し、7年後にリニューアル開校したもので、いろんな人の力を借りて晴れの日に漕ぎつけたことを感じました。
同じ日には子どもキャプテンの篠岡啓子さん(豊岡キャプテン会)の小学校の開校式もあり、豊岡キャプテン会のキャプテン、メンバーのみなさんにもご参加・お祝いしていただけたのがありがたかったです。現地の人もビックリするぐらい暑い日でしたが、教員養成学校に進んでいる卒業生と糸谷社長が7年ぶりの再会を喜んでハグしている姿を見て、学校の果たす役割の大きさとそれを目標としているエルセラーンに改めて感動し、その一員であることに誇りを持てたのが最高の収穫でした。
開校式の感動をメンバーのみなさんと共有し、帰国した翌2019年2~4月で2校目の学校建設条件を達成できました。3校目は2021年2月、4校目は昨年12月の達成でしたが、対面でのコミュニケーションが難しいコロナ禍にもかかわらず条件をクリアできたのは自分でも驚きです。学校建設という目標を持つことでメンバーのみなさんにもボランティアの気持ちが高まったと思います。環境のこと、唯心の生き方、四位一体のポリシー全部が含まれている活動が学校建設という形につながっていきます。
■今年は自ら出向く
メンバーのみなさんに学校建設へのご協力をいただいたにもかかわらず、コロナ禍でなかなか出会えず、ちゃんとお礼をいえていない状況が続いてきました。これまではメンバーのみなさんにサロンに来ていただいて交流する方法が中心でしたが、今年は積極的にこちらからメンバーさんや新しい方のところへ出かけていって交流したいと思っています。
エルセラーンと出合って大きく人生を変えていただきました。以前の自分だったら主観の強いまま、狭い視野のまま生きていたと思います。2月に会社が受賞した「輝く女性賞」はエルセラーンにとって大きな励みであり、羽ばたくきっかけになります。
学校建設というのがキャプテンとしての普遍的な目標になるので常に頭には入れつつ、いろんな方に出会ってエルセラーンの仲間を増やしたいです。社長のもと、エルセラーンの一員として私もメンバーのみなさんと共に輝く人生を歩みたいと思います。
(インタビュー2023年2月)