過去紹介分(13)隅田順子・高瀬寿子キャプテン

 エルセラーンのポリシーや商品をメンバーさんたちにお伝えして正しい生き方を広め、商品販売の収益の一部を率先してボランティア活動に寄付されているのが、全国で活躍するボランティアキャプテンたちです。どんなお仕事内容なのか、どんな日常を過ごされているのかを話題のキャプテンたちにお聞きしました。

 

隅田順子キャプテン(1950年生まれ)
(1990年兵庫キャプテン会所属)
地域を越えた〝仲間同士〟

 

■4年かけて気づいた四位一体の〝つながり〟

 

 
幼いころから乾燥肌で、高校生になると体中にボディローションやクリームを塗るようになりました。今から考えると、洗剤と同じような成分を塗って結果的に肌荒れを悪化させたんでしょうね。20代のころには全身がひび割れるほどひどくなり困っていました。
30代半ばのある午前中、ママ友の家で洗顔してエルセラーン化粧品を使わせてもらうと、夕方肌がツルツルになっていて驚き、すぐにホームパーティへ参加しました。びっくりして、持っていた化粧品を全部捨てて、エルセラーンをすぐに使い始めました。4人目の子どもが生まれたころで、1年ほどは愛用者でしたが全身に使いたかったのでお得に購入できるパートナーになりました。
ママ友と子どもを預け合いながら参加したエルセラーンの勉強会は学校の授業と違って楽しかったです。中でも『怖い化粧品1000種』を著わした郡司篤孝先生の講演に強烈な印象を受け、化粧品の怖さをみんなに聞いてほしいと思い、月数回はホームパーティを開きました。ただ、キャプテン業は大変そうなのでパートナーで気楽にやろうと考えていました。
でもあるとき、四位一体のポリシー(①国際ボランティア②地球環境を守る③生涯心を磨く④この3つを仕事にする)がすべて、つながっていることに気づいたんです。自分がキレイになれて、お金も頂けて、心の勉強も「Stop the pollution(公害防止)」もできるし、ボランティア事業もある。「こんな素晴らしい仕事は他にない」⇒「キャプテンになろう」と決めました。パートナーになって丸4年が経っていました。
 

★隅田順子キャプテンのプロフィール★

 
出身地:北海道・富良野生まれ。大学進学で関西へ。現在は神戸市在住。
血液型:AB型。ボーっとしたところがあり細かいことに気づかないことも多くある。極端な方向音痴で周囲からは「絶対、この人に付いていってはダメ」「この人がこっちと思ったら反対へ行け」と言われる。
家族:子どもは男4人。今は夫と二人暮らし。
趣味:映画、特に人間模様を描いた欧米の作品が好き。ロック音楽のファンでビートルズはゆかりの地を巡るほどのマニア。エルセラーンのフランス旅行がきっかけで60歳の時から脳の老化防止のため、若い頃に学んだ仏語を楽しんでいる。
グルメ:好きな食べ物は牡蠣と枝豆。晩酌はビール→ワインの順で。
 

■ケンカで深まった夫のエルセラーン愛

 
1990年キャプテンに昇格し、エルセラーンの勉強会に行くようになると、「唯心・唯物」や「プラス思考・マイナス思考」などのメンタルトークを学ぶのがすごく面白くて夢中になりました。でも、3泊4日の唯心合宿などへ出かけるようになると、夫はエルセラーンの催しや勉強会への参加に猛反対するようになりました。
ケンカになって、土壇場で勉強会参加をやむなくキャンセルしたこともあります。エルセラーンの仕事のためにこっそりと車の運転免許を取り、神戸のホテルでフェスティバルが開かれたときは宿泊せずに夕方自宅へ帰り、翌朝ホテルへ戻ったり…。そんな状況が3年ほど続きました。
夫の機嫌が良さそうなときを見計らって石橋会長のメンタルトークの内容を囁くことにしました。この作戦が功を奏したのか、夫も徐々に会長の考え方は凄いと思い始めたようです。哲学の素養がある人なので、会長に相通ずるものを感じたのかもしれません。やがて催しや勉強会への参加を反対しなくなりました。
三男の亮太(エルセラーン化粧品㈱教育部次長)が2008年、前の会社を辞めたとき、夫が「エルセラーンのような会社に入れたらいいのにな」といったので驚きました。結局、亮太がエルセラーンへ再就職して、夫がとても喜んでいたことを覚えています。今ではキャプテンの仕事を応援してくれています。
 

■頭の中の〝鉄板〟を外して学校建設

 

ラオス 隅田小学校の開校式で隅田順子キャプテン(後列左から2人目)と夫・明裕さん(同3人目)

 
エルセラーンでは2013年から、ボランティアで建設した学校に条件を達成したキャプテンの名前を付ける仕組みを始めましたが、達成基準が高いので自分には無理だと思っていました。でも、成し遂げたキャプテンたちが「やろうと決めたら奇跡が起こった」とか「決めたらみんな協力してくれるよ」などと言うじゃないですか。向井常務の〝鉄板(を頭の中から外す)〟のメンタルトークを聞いて、「できないと思い込んでいるからダメなんだ」と反省し、1校目に挑戦しました。
周りの人に協力していただき、頭を使ってキャンペーンもおこない、メンバーさんのところへ足を運び…。2014年8月、初めて学校建設条件をクリアすることができました。終わったときは達成感、清々しさがありました。
そして2016年11月、ラオスの隅田小学校(ジョンタイ)の開校式に夫婦で向かいました。雲海を見下ろす山の上に建つ学校まで四駆に乗って上りました。電気、ガスもトイレもない村でしたが学校は必要であることに改めて驚きました。
歓迎する子どもたちが作る人垣の間を通ると、思わず涙が溢れました。交流会の中でシャボン玉を初めて見た子どもたちが目をみはっていたのが印象的でした。そして式典・交流が終わり、帰る際に子どもたちが車まで走り寄り、車が動き出すと名残惜しそうに追いかけてきたのには感激しました。村にはこの学校しかなく、子どもたちは卒業したらどうするのかとNGOの方に尋ねると、ふもとの町の中学校に年に1人、行けるかどうかだと聞かされました。日本では中学校に通うのが当たり前なのですごくショックだったことを覚えています。
 

■仲間で励まし合って目標達成

 

 
今年7月の全国リーダーキャプテン会の後、ホテルの部屋で長砂清美キャプテン(豊岡キャプテン会)、高瀬寿子キャプテン(島根キャプテン会)と、学校建設に向けた〝決起集会〟を開きました。LINEやメールで励まし合った結果、3人とも7月は目標を達成できました。
荒川幹枝キャプテン(栃木キャプテン会)が今年5月に2,000万、傘寿を迎えた清水有美子キャプテン(兵庫キャプテン会)も6月、大台を達成されたのに刺激を受け、私も1,000万をして何かを変えたいと思ったんです。最近、元気がない兵庫キャプテン会に弾みがつくことも期待して。
今年は7回目の年女ですが、エルセラーンでは80代の先輩キャプテンたちも学校建設に頑張っておられます。学校建設1,000校の大目標に向けて私も挑戦し続けたいと思います。エルセラーンのおかげで素敵なお友達がたくさんできました。これからは、特に若い人と出会ってエルセラーンを次の世代に伝えていきたいです。(インタビュー2022年8月)

 
 

高瀬寿子キャプテン(1947年生まれ)
(2000年島根キャプテン会所属)
70歳を越えて学校建設を〝楽しむ〟

 

■相手に芯がさすボランティア

 

 
50歳を過ぎて子どもも社会人となり、私はゴルフにはまっていました(笑)。ラウンドが終わり、日焼けが気になってクラブハウスで鏡をのぞいていたら、隣りでエルセラーンの日焼け止めを塗っていた知人に商品を勧められたんです。近所のホテルで開かれたホームパーティに誘われ、化粧品と水の器械を購入してパートナーになりました。
でも、50代で〝美容の人〟になるのも嫌だったし、民生委員やPTA、ガールスカウトの役員など社会奉仕活動をやっている自負があり、キャプテンは「自分には向いとらん」と思い込んでいたんです。
間もなくして直上のキャプテンと参加したフェスティバルで、石橋会長からボランティアの話を聞きました。でもピンとこなかったので、会長に「私もボランティアをしています。会長のいうボランティアとどう違うのですか」と質問すると、こんな答えが返ってきました。
「あなたのボランティアは自分に芯がさしている。僕のボランティアは相手にさしている」
その話を聞いたとき、なぜか自然に涙が出てきました。「どうしたらいいですか?」と聞いたら、会長は「エルセラーンには勉強をするところがあるのでお越しください」といわれ、素直に「はい」といいました。
実はそのころ、民生委員の人間関係に矛盾を感じていました。会長の「みなさん、正しい生き方をしましょう」の言葉で9年間務めた民生委員を辞めたいと思い、パートナーだった友人から「一緒にキャプテンになろう」と誘われたこともあってキャプテンになりました。
エルセラーンの実態を知らない周りの人からは「高瀬さん、民生委員を辞めて商売人になるんだって」と陰口をたたかれたものです。
 

★高瀬寿子キャプテンのプロフィール★

 
出身地:山口県萩市生まれ。国家公務員だった父の転勤に伴い、松江や広島、下関、益田など中国地方を転々。結婚して島根県出雲市に定住することになった。
血液型:A型。小、中、高とも入学と卒業が違う学校で、住む場所がコロコロ変わったから、「誰とでも仲良くならんといけん」性格が自然に形作られた。
家族:元中学校校長の夫、娘夫婦と孫3人で暮らしている。
社会奉仕:9代ほど続く旧家に嫁ぎ、「働くな」といわれていたので子育てをしながらPTA活動や民生委員を長年務めた。現在も青少年育成島根県民会議の副会長などを務め、青少年の健全育成に尽力している。
趣味:日本舞踊は名取り。テニス、ゴルフはエルセラーンを始めてピタリと止めた(笑)。
 

■夫をも変えた学校建設プロジェクト

 

ネパール 高瀬高校の開校式で。高瀬寿子キャプテンと夫、正博さん(左隣)=2018年10月

 
キャプテンになった翌年、名古屋駅前にナチュラルホテルエルセラーンが開業しました。泊りがけで勉強会やフェスティバルに行くことに対して夫は機嫌が悪かったです。そのことで数年間はケンカが絶えませんでした。エルセラーンは世界平和の構築を目指しており、まずは家庭が平和であるべきですけれどね。
そんな状況が変わったのはボランティアの学校建設プロジェクトです。夫は元中学校校長でしたから教育のことに強い興味を持ち、会長の〝教育論〟に共鳴し、自分もB型だから会長のことがもともと好きでした。
2018年10月、ネパールの高瀬高校(カリ・デビ)の開校式に島根キャプテン会の勝部富美子キャプテンや島根のたくさんの仲間と参加。そのとき夫も同行しました。国は貧しいかもしれないけれど、子どもたちは凛としていて挨拶の言葉も自信にあふれていたのが印象的でした。教育自立支援の場としての学校って大事だなと改めて感じました。
夫はエルセラーンの会合で「私は定年退職して孫の面倒を見たり、家で草取りなどをしていますが、妻は(エルセラーンの仕事で私の)2、3歩前を歩いています」と挨拶してくれるまでに変わりました。エルセラーンは夫にとっても生活の一部になったのではと思います。
 

■同世代の頑張りから刺激

 
論語の一節に「十有五にして学を志す」、「三十にして立つ」、「四十にして惑わず」、「五十にして天命を知る」、「六十にして耳順う」のあと「七十にして心の欲する所に従えども矩(のり)を踰(こ)えず」(70歳ともなると心の思うままに行動しても決して道徳から外れない)という言葉があります。実は70歳を越えたら、やりたいように生きても間違いがないと思ったり、大阪へ行くのはセーブして体を大切にしようなどと少し消極的になりかけていました。
しかし、同じ歳の土井田瑠瑞子キャプテン(広島キャプテン会)が2020年10月、YES-fmの番組『エルセラーンアワー ―夢の階段を昇って―』に出演され、子どもたちのため学校建設を生涯頑張ると話されたのを聞いて「私も頑張ろう」と刺激を受けました。そこから動き出して、学校建設2校目の条件を達成できたんです。
エルセラーンの商品は素晴らしいのに、私は商品の良さをメンバーさんになかなか上手にいえませんでした。心磨き、ボランティアに興味があってエルセラーンに入ったものの、モノを売るのは苦手で悶々とした時期もありました。ボランティアと商品販売がうまくマッチングするようになったのは私の場合、学校建設事業なんです。
キャプテン昇格は53歳と決して若くなかったので、以前、会長からは「せいぜい、いってもジュニアエグゼクティブキャプテンまでかな。絵にかいたようにはいかんわな」なんて笑いながら苦い言葉をいただいたこともあります。それでも一昨年には20年表彰まで漕ぎつけました。頑張って30年間はキャプテン業を続けるつもりです。
 

■学校建設を〝楽しむ〟

 

 
私は「団塊の世代」です。「団塊の世代」が世の中の役に立つように生きていくことが青少年にいい影響を与えると思います。エルセラーンがすごく良くても、目の前にいる人が実際に見ているのは私であり、私を通してエルセラーンを判断するわけです。だから私はずっと心磨きを続けないといけないと思っています。
今年7月には3校目建設への挑戦をスタートしました。スキルアップゼミナールでマザー・テレサの映画を観て、新井課長の「プラス思考・マイナス思考」のメンタルトークを聞いたおかげなんです。
「エルセラーンを楽しんでないと本物ではない」と会長にいわれたことがあります。学校建設の条件達成が苦しいというのは、まだ学び足りないからでしょうね。楽しむまでいかないと本物ではないと思います。糸谷社長の人間力、素敵な人を引き寄せる力にワクワクしています。地域を超えた仲間との絆を大切に精一杯頑張って楽しみながら3校目を達成したいです。(インタビュー2022年8月)


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