
カトマンズ市内から学校のある村を目指します。
レンガ造りの建物が多いネパール。

市街地を離れると、広大な農地が眼下に。

カトマンズから車で約2時間。

民家の様子も、市街地のそれとは違います。

車が止まり、現地NPOが案内します。
「新校舎を見に行かれる方は、ここからは歩きです」
細い悪路を、みんなで歩きます。

建物の裏側から、土砂が押し寄せていました。

使用していた校舎です。
校舎の正面には子どもたちが遊ぶスペースがあったのですが、それも流されたという話です。

斜面の上から見える建設中の新校舎。
100メートルと離れていませんが、大きく回り道をするため、時間がかかります。

悪路を歩き、たどり着きました。


1階部分には土砂が流れ込んでいます。

同じ校舎の2階部分です。
参加者のひとりがつぶやきました。
「ここはきれいに残っていますね。ここだけでも使ってもらえたらなぁ」
視察を終え、式の会場にむかいます。

道の両側に、村人と生徒たち


子どもたちから、花を受け取りながら、永井さんを先頭に進みます。

ボランティアキャプテンのひとり、山本澄子さんは、涙を拭いながら歩きます。
災害のため、大変な状況に置かれていて、なおも笑顔を向けてくれる子どもたちを前に、涙が流れました。

授業をおこなっている建物の前の広場が、式の会場です。

式は生徒たちの歌から始まりました。
生徒たちが作詞、先生が作曲したという歓迎の歌です。
歌詞は次の通りです。
「ようこそお越しくださいました。心から歓迎いたします。この村にまるで神様のように訪れてくださいました。花束を持って歓迎いたします。災害はありましたが、今日は喜びであふれた一日です」

クリシュナ・プラサド・ティミルシナ校長のごあいさつ(一部抜粋)
「日本のエルセラーンのみなさま、ようこそお越しくださいました。この学校はご支援により2階建て4教室の新校舎が完成しようとしていました。生徒も教員も喜びに包まれていました。しかし大雨によって地滑りが起き、一夜で喜びは奪われてしまいました。思い出したくもない一夜でした。しかし、学校としては授業を行わなければなりません。どうすればよいか、市と緊急会議を開きました。今は近隣の建物の6部屋を臨時の教室として、授業を行なっています。一日も早く新校舎を活用したい。そのために必要なことは復旧工事であります。子ども達を預かる学校としては、一日も早く新校舎を使用できるように進めていきたいと思います。この地域は、ネパール国内でも、校舎を最も必要としている地域のひとつです。この村に建ててくださったことを改めて深く感謝いたします」

ごあいさつに立つ永井さん。
永井さんはこの日、次のような言葉を子どもたちに贈りました。
「昔、日本は貧しい国でした。それが今のように発展した国になったのは、教育の力です。みんなが学校に行って勉強できるようになることが、国を豊かにします。みなさんもこの学校で一生懸命勉強して、努力して未来を切り開いてください。学校で勉強したことは、一生の宝物になります」

生徒たちがダンスを披露します。

どんなときも笑顔になれる、踊りと音楽。
ネパールの人たちの明るさ、強さに触れました。

生徒代表 8年生ナガルコッティ・ババナさんのごあいさつ(全文)
「日本のエルセラーンのみなさん、遠いところから私たちのことを思ってくださって、ここまで足を運んでくださり、ありがとうございます。この学校の生徒として、とても嬉しいです。5年前の地震でこの学校は大きな被害を受けました。地震後、トタン板を組み合わせただけの簡素な仮設校舎で勉強していた私たちにとって、日本からの支援で新校舎ができることが楽しみでした。私たちは学校ができていく様子をずっと見ていました。しかし、大雨による地滑りで使えなくなったことがわかりました。新校舎の完成をワクワクしていたあのときの喜びは、忘れることができません。一日も早くあの学校で勉強したいです。日本のみなさんがネパールのこの地域の教育水準の向上にご協力いただいたことに、本当に感謝しています。これからも日本のみなさんと交流を深めたいと思っています」

式が終わると、遊びます。
子どもたちは一緒に折り紙をして

お母さんたちはきれいなサリーに身を包み、記念撮影。
「大変なこともあったけど、今日は嬉しい。笑顔で、オシャレして」
同行したボランティアパートナーの渡会友理子さんは、この日を次のように振り返りました。
「行くことができてよかったです。単なるお祝いではなかったけれど、子どもたちに会えたことが、とても嬉しくて。新校舎での授業がスタートしたら、絶対行きたい。今から再訪の準備を始めたいくらいです。ネパールに限らず、『開校式』という場に行くことを、たくさんの人におすすめしたいですね」










カトマンズ市内から学校のある村を目指します。
レンガ造りの建物が多いネパール。

市街地を離れると、広大な農地が眼下に。

カトマンズから車で約2時間。

民家の様子も、市街地のそれとは違います。

車が止まり、現地NPOが案内します。
「新校舎を見に行かれる方は、ここからは歩きです」
細い悪路を、みんなで歩きます。

建物の裏側から、土砂が押し寄せていました。

使用していた校舎です。
校舎の正面には子どもたちが遊ぶスペースがあったのですが、それも流されたという話です。

斜面の上から見える建設中の新校舎。
100メートルと離れていませんが、大きく回り道をするため、時間がかかります。

悪路を歩き、たどり着きました。


1階部分には土砂が流れ込んでいます。

同じ校舎の2階部分です。
参加者のひとりがつぶやきました。
「ここはきれいに残っていますね。ここだけでも使ってもらえたらなぁ」
視察を終え、式の会場にむかいます。

道の両側に、村人と生徒たち


子どもたちから、花を受け取りながら、永井さんを先頭に進みます。

ボランティアキャプテンのひとり、山本澄子さんは、涙を拭いながら歩きます。
災害のため、大変な状況に置かれていて、なおも笑顔を向けてくれる子どもたちを前に、涙が流れました。

授業をおこなっている建物の前の広場が、式の会場です。

式は生徒たちの歌から始まりました。
生徒たちが作詞、先生が作曲したという歓迎の歌です。
歌詞は次の通りです。
「ようこそお越しくださいました。心から歓迎いたします。この村にまるで神様のように訪れてくださいました。花束を持って歓迎いたします。災害はありましたが、今日は喜びであふれた一日です」

クリシュナ・プラサド・ティミルシナ校長のごあいさつ(一部抜粋)
「日本のエルセラーンのみなさま、ようこそお越しくださいました。この学校はご支援により2階建て4教室の新校舎が完成しようとしていました。生徒も教員も喜びに包まれていました。しかし大雨によって地滑りが起き、一夜で喜びは奪われてしまいました。思い出したくもない一夜でした。しかし、学校としては授業を行わなければなりません。どうすればよいか、市と緊急会議を開きました。今は近隣の建物の6部屋を臨時の教室として、授業を行なっています。一日も早く新校舎を活用したい。そのために必要なことは復旧工事であります。子ども達を預かる学校としては、一日も早く新校舎を使用できるように進めていきたいと思います。この地域は、ネパール国内でも、校舎を最も必要としている地域のひとつです。この村に建ててくださったことを改めて深く感謝いたします」

ごあいさつに立つ永井さん。
永井さんはこの日、次のような言葉を子どもたちに贈りました。
「昔、日本は貧しい国でした。それが今のように発展した国になったのは、教育の力です。みんなが学校に行って勉強できるようになることが、国を豊かにします。みなさんもこの学校で一生懸命勉強して、努力して未来を切り開いてください。学校で勉強したことは、一生の宝物になります」

生徒たちがダンスを披露します。

どんなときも笑顔になれる、踊りと音楽。
ネパールの人たちの明るさ、強さに触れました。

生徒代表 8年生ナガルコッティ・ババナさんのごあいさつ(全文)
「日本のエルセラーンのみなさん、遠いところから私たちのことを思ってくださって、ここまで足を運んでくださり、ありがとうございます。この学校の生徒として、とても嬉しいです。5年前の地震でこの学校は大きな被害を受けました。地震後、トタン板を組み合わせただけの簡素な仮設校舎で勉強していた私たちにとって、日本からの支援で新校舎ができることが楽しみでした。私たちは学校ができていく様子をずっと見ていました。しかし、大雨による地滑りで使えなくなったことがわかりました。新校舎の完成をワクワクしていたあのときの喜びは、忘れることができません。一日も早くあの学校で勉強したいです。日本のみなさんがネパールのこの地域の教育水準の向上にご協力いただいたことに、本当に感謝しています。これからも日本のみなさんと交流を深めたいと思っています」

式が終わると、遊びます。
子どもたちは一緒に折り紙をして

お母さんたちはきれいなサリーに身を包み、記念撮影。
「大変なこともあったけど、今日は嬉しい。笑顔で、オシャレして」
同行したボランティアパートナーの渡会友理子さんは、この日を次のように振り返りました。
「行くことができてよかったです。単なるお祝いではなかったけれど、子どもたちに会えたことが、とても嬉しくて。新校舎での授業がスタートしたら、絶対行きたい。今から再訪の準備を始めたいくらいです。ネパールに限らず、『開校式』という場に行くことを、たくさんの人におすすめしたいですね」








