
宿泊先のダッカ中心部にある、パンパシフィックホテル。5つ星の豪華なホテルです。電源が入りにくいなど小さなトラブルはありましたが、料理はとてもおいしく、みなさん大満足。ホテル内には、フェステイバルができるような大ホール(写真㊤)も。開校式の朝、玉村さんは少し緊張しながらも、首に手拭いをまいた映像担当の奥谷さんの柔らかなリードで「みなさまのおかげでこの日を迎えることが出来ました。感謝の気持ちでいっぱいです。行ってきまーす」。

人、人、人、車、車、車(写真㊤)。バングラデシュは都市国家を除くと、人口密度は世界一。北海道の1.7倍の国土(14万7000平方㎞)に、日本の人口(1億2600万人)より多い1億6000万人が暮らしています。
インドをはさんで東西に分かれていたパキスタンから1971年に独立、「東パキスタン」と呼ばれていた地域が、「ベンガル人の国」を意味するバングラデシュになり、2021年に独立50周年を迎えます。
そんな新興国にやってきたエルセラーンの一行35人。いざ、バス2台に分乗して玉村小学校へ向かいました。
今回のスタディツアーには、NPO法人「P.U.S(バングラデシュの村を良くする会)」理事長の岩下八司・啓子ご夫妻、シンガーソングライターの、というより学校建設のテーマソング「白いノート」の生みの親、石田裕之さん(P.U.S理事)が同行(写真)。玉村さんチームの1号車に乗車した石田さんは、岩下さんの「ひろちゃん、もう一曲」という声に促されて、白いノートのほか5曲を熱唱。
盛り上がりの中で、エルセラーンピンクの玉村小学校(写真)に着きました。

開校式は、国歌斉唱から始まりました。一生懸命、歌い上げる子どもたち。大人っぽい睫(まつげ)とルージュが印象的な少女(写真㊤)も、髪飾りを少しだけゆらしながら、気高く国歌を斉唱しました。あいさつにたった校長先生(写真)や学校管理委員会の委員長、学生の政治団体のリーダーは「教育という光を子どもに与える、そのための学校づくりを支援してくださった日本のみなさまに、お礼を申し上げます」「子どもたちばかりでなく、村全体が喜びに包まれています」「日本とバングラデシュの友好が発信源となり、この地域から教育の光が広がっていくことを願っています」と話しました。

玉村キャプテンがあいさつに立ちました。
「みなさん、学校は楽しいですか」
「大きくなったら、どんなお仕事をしたいですか」
子どもたちは、玉村さんの一声一声に、大きな声で反応します。
今回の3校の開校式の「成功」は、この瞬間に見えました。子どもたちとの対話が、式典の主役に躍り出たのです。
児童の代表がマイクを持ちました(写真)。
「私たちの学校は、ずっと校舎が足りませんでした。困っていた私たちにエルセラーンのみなさんが学校をつくってくれました。とてもうれしいです。安心して勉強できるようになったからです。この学校のおかげで、生活そのものが明るくなりました。夢を追いかけることができるようになりました。この学校は、とても頼もしい存在です。本当にありがとうございます」
ドキドキしたという玉村キャプテンのテープカット(写真)。鋏(はさみ)を入れた瞬間、赤いテープは、「はらり」と美しく、流れていきました。
