当時の現地新聞紙面

学校に到着し、被災状況を直接見るエルセラーンメンバー

地滑りで旧校舎前の広場はなくなっています。

この場所から眼下に完成間近の新校舎が見えました。

1階部分に土砂が流れ込んでいます。

2階部分は無事ですが机・椅子などの搬入はできていませんでした。

場所を移し開校式へ。

遠くにヒマラヤ山脈を望む素晴らしいロケーションです。








訪問後のスプリングフェスティバル(2020年3月)では永井中学校の開校式訪問が映像で報告され、建設事業を手掛けたNPO法人「チョウタリィの会」の山口悦子代表理事は映像のあと、次のようにコメントされました。
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水害が発生してからは、あの村は陸の孤島のような感じになっていました。
たくさんの人が亡くなり、希望がないようなムードでした。

永井中学校があるあの村は、ネパールの他の学校を訪問する際の通り道にあるので、災害後も私は何度か訪れたことがありました。
当時、村の人たちは先ほど映像で見たような、楽しそうな様子ではありませんでした。
笑顔が、本当になかったんです。
それが、あの映像のような、笑顔あふれる開校式になりました。

開校式のあと、日本に帰ってきてから何度かネパールに問い合わせました。
「永井中学校の村は、あれからどんな様子ですか?」と。
すると
「村人たちが校舎までの道や、校舎の土砂を運んで整備していますよ、山口さん」という答えでした。
驚きました。
エルセラーンのみなさんが訪問する前に、私が何度も訪れて、励まして、「学校を使えるようにしてください! 土砂を運び出してください!」と村人に働きかけても、意気消沈してしまって、誰も動けなかったんです。
「家族や知り合いが命を落としたあの場所には、どうしても行く気になれない」という話だったんです。
開校式の日の後は、そんな様子が嘘だったように、「毎日のように村人が作業しているよ」と知らせてもらえました。
日本のエルセラーンのみなさんが、あそこまで足を運んだ情熱というのが、村を変えたようです。

スプリングフェスティバルで開校式を振り返る永井キャプテン
「この村はもうダメだから引っ越そう」
「出稼ぎを頼りにほかに行こう」
そういう声が出ていた村から
「私たちの村を、私たちの力で何とかするんだ!」という気持ちにまで、みなさんの力が変えてしまったというのを、今回感じました。
エルセラーンのみなさんが持っていった笑顔が、子ども達だけじゃなく村人にも伝わって、その地域を変えていく力があるんだと思います。

そのご報告をしたくて、今日ここでお話しできることを楽しみにしていました。
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そして訪問から2年9カ月後に現地から届いたレポートは、11月9日・10日 愛知県 ラグーナベイコート倶楽部でのランチミーティングで紹介されました。


レポートの概要は次の通りです。
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・災害を受け、完成間近だった新校舎が使えなくなった地域のためにネパール政府が4教室の新校舎を建設した。
・建設用地は、エルセラーンメンバーとともに開校式をおこなった場所。
