朝、市内の渋滞が本格化する前にホテルを出ました。
とは言え、多くのバイクと車がすでに通りに出ています。
レンガ工場を横目に車は走ります。
ネパール・カトマンズではこのようなレンガでの建材作成がさかんに行われています。
一方、煤煙による空気環境の悪化も懸念されています。
道路はつづら折りの山道へと入っていきました。
いよいよネパールらしい道行きか、と思っていると
現地NPO代表から「着きましたよ」の声。
幹線道路のすぐそばには、ゲートと、村人、子どもたちの姿。
拍子抜けする間もなく、一行は急いで車を降ります。
武田さんが最初に、女子生徒からマリーゴールドのレイをかけてもらいます。
速報でも取り上げた、市内で作られていたレイはこのような場所で使われます。
(【速報】ネパールで2校の開校式 豊田・豊橋・福井から20人が参加)
涙を拭いながら歓迎の花道を歩く武田さん
このときの涙を、後日こう振り返りました。
「うまく言えないんですけど、子どもたちが本当に、まっすぐな瞳でこっちを見てきて…ナマステ!ナマステ!と。それを、もう、この、目の前で見ていると、何とも言えない気持ちがこみあげてきて、泣いちゃってましたね(笑)」
村人、子どもたちの花道の先には、リボンや風船でおめかしした2階建ての新校舎。
日本と違ってネパールの「高校」は12学年(日本でいう小学生1年生から高校3年生まで)の子どもが通います。
リボンカットはドゥリケル市の副市長と並んで。
このとき用意されていた手筒花火は、残念ながら不発でしたが、それもまた場を和ませてくれました。
教室の中で勉強していたところにお邪魔しました。
ノートには英語でびっしりと作文が。(恐らく英文学書の感想文)
ネパールでは中学生にもなると、日本人の我々にも、英語で積極的に話しかけてきます。
校庭のまんなかに、ステージを組み、椅子を出し、旗で飾っています。
開校式が始まります。
開校式では女子生徒がきれいな衣装で踊ります。
歓迎の踊り、故郷を思う踊り。
ダンスはネパール人にとって、単なる娯楽ではなく、切っても切り離せない、体の一部のようなものです。
オイルランプの儀式もネパールのお祝い事では欠かせません。
新たな門出に、明るい火を灯します。
校庭の一角に、トタン板を組んだだけの建物がありました。
これが5年前の地震後に設置された仮設校舎です。
光が入りにくく、授業が困難だったそうです。
「日本のみなさんは私たちの心の傷に薬を塗ってくれました。ネパールでは『困ったときには神様が助けてくださる』と言われます。みなさんのことを、本当に、神様のように感じています」(生徒代表スピーチ)
エルセラーン一行も、歌と踊りで、歓迎の御礼を。
「日本人が歌って踊るのを見る」機会もそうないのでしょう。
お母さんがたも楽しそう。
笑い声と音楽が、空と山に響きます。
式が終わると一緒に遊ぶ交流会です。
ネパールティーを用意してくれました。
ビスケットと一緒に、ほっとひといき。
教室の中では折り紙で遊びます。
見様見真似でも、子どもたちの上達ぶりには驚かされます。
新聞紙の兜をかぶって、うれしそうです。
教室の外では、踊りはノンストップ。
子どもたちの元気で上手な踊りに、豊田のみなさんも負けていません。
校庭から離れたところに、露店が出ています。
ネパールには、給食はありません。
もともと、朝夜の1日2食の習慣ですが、育ち盛り勉強盛りの子どもたちはこのような露店で買えるちょっとしたおやつやパンをお昼ご飯にします。
お別れの時間が近づいてきました。
村人たちは見送りの準備。
手にはカタと呼ばれる布。
帰路の安全を祈って客人の首にかけます。
子ども、村人とお別れです。
同行したボランティアパートナー澤田三奈さんの手には、折り紙で作った小さな飾りが。
後日のワンデーフェスティバルで、同じものを手に、教えてくれました。
「学校を発つ直前、ひとりの生徒が駆け寄ってきて、これを私にくれたんです。こちらから持参した折り紙で、作ってくれたみたいで。とってもうれしくて、ずっと持っています」
高価な贈り物ではありませんが、とても特別なものにしてくれた開校式でした。
朝、市内の渋滞が本格化する前にホテルを出ました。
とは言え、多くのバイクと車がすでに通りに出ています。
レンガ工場を横目に車は走ります。
ネパール・カトマンズではこのようなレンガでの建材作成がさかんに行われています。
一方、煤煙による空気環境の悪化も懸念されています。
道路はつづら折りの山道へと入っていきました。
いよいよネパールらしい道行きか、と思っていると
現地NPO代表から「着きましたよ」の声。
幹線道路のすぐそばには、ゲートと、村人、子どもたちの姿。
拍子抜けする間もなく、一行は急いで車を降ります。
武田さんが最初に、女子生徒からマリーゴールドのレイをかけてもらいます。
速報でも取り上げた、市内で作られていたレイはこのような場所で使われます。
(【速報】ネパールで2校の開校式 豊田・豊橋・福井から20人が参加)
涙を拭いながら歓迎の花道を歩く武田さん
このときの涙を、後日こう振り返りました。
「うまく言えないんですけど、子どもたちが本当に、まっすぐな瞳でこっちを見てきて…ナマステ!ナマステ!と。それを、もう、この、目の前で見ていると、何とも言えない気持ちがこみあげてきて、泣いちゃってましたね(笑)」
村人、子どもたちの花道の先には、リボンや風船でおめかしした2階建ての新校舎。
日本と違ってネパールの「高校」は12学年(日本でいう小学生1年生から高校3年生まで)の子どもが通います。
リボンカットはドゥリケル市の副市長と並んで。
このとき用意されていた手筒花火は、残念ながら不発でしたが、それもまた場を和ませてくれました。
教室の中で勉強していたところにお邪魔しました。
ノートには英語でびっしりと作文が。(恐らく英文学書の感想文)
ネパールでは中学生にもなると、日本人の我々にも、英語で積極的に話しかけてきます。
校庭のまんなかに、ステージを組み、椅子を出し、旗で飾っています。
開校式が始まります。
開校式では女子生徒がきれいな衣装で踊ります。
歓迎の踊り、故郷を思う踊り。
ダンスはネパール人にとって、単なる娯楽ではなく、切っても切り離せない、体の一部のようなものです。
オイルランプの儀式もネパールのお祝い事では欠かせません。
新たな門出に、明るい火を灯します。
校庭の一角に、トタン板を組んだだけの建物がありました。
これが5年前の地震後に設置された仮設校舎です。
光が入りにくく、授業が困難だったそうです。
「日本のみなさんは私たちの心の傷に薬を塗ってくれました。ネパールでは『困ったときには神様が助けてくださる』と言われます。みなさんのことを、本当に、神様のように感じています」(生徒代表スピーチ)
エルセラーン一行も、歌と踊りで、歓迎の御礼を。
「日本人が歌って踊るのを見る」機会もそうないのでしょう。
お母さんがたも楽しそう。
笑い声と音楽が、空と山に響きます。
式が終わると一緒に遊ぶ交流会です。
ネパールティーを用意してくれました。
ビスケットと一緒に、ほっとひといき。
教室の中では折り紙で遊びます。
見様見真似でも、子どもたちの上達ぶりには驚かされます。
新聞紙の兜をかぶって、うれしそうです。
教室の外では、踊りはノンストップ。
子どもたちの元気で上手な踊りに、豊田のみなさんも負けていません。
校庭から離れたところに、露店が出ています。
ネパールには、給食はありません。
もともと、朝夜の1日2食の習慣ですが、育ち盛り勉強盛りの子どもたちはこのような露店で買えるちょっとしたおやつやパンをお昼ご飯にします。
お別れの時間が近づいてきました。
村人たちは見送りの準備。
手にはカタと呼ばれる布。
帰路の安全を祈って客人の首にかけます。
子ども、村人とお別れです。
同行したボランティアパートナー澤田三奈さんの手には、折り紙で作った小さな飾りが。
後日のワンデーフェスティバルで、同じものを手に、教えてくれました。
「学校を発つ直前、ひとりの生徒が駆け寄ってきて、これを私にくれたんです。こちらから持参した折り紙で、作ってくれたみたいで。とってもうれしくて、ずっと持っています」
高価な贈り物ではありませんが、とても特別なものにしてくれた開校式でした。